Lausanne Global Analysis

メガ・チャーチとそのキリスト教宣教に対する影響


メガ・チャーチとは、並外れて、あるいは異常に大きな会衆の群れであり、主に保守的福音派、あるいはペンテコステ/カリスマ派といったキリスト教の流れを汲んでいる。歴史的には北米との関わりから、今日ではアフリカ、アジア、ラテン・アメリカにメガ・チャーチは存在する。新たなメガ・チャーチのコミュニティは、カリスマ的な説教者とそのミニストリーによって、何十万人、あるいは何百万人にまで拡大し、数々のメディア・プログラムやリソースを通して導かれている。

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これらキリスト教の流れを汲む者は、メガ・チャーチに対して、ミニストリーの成功を表す象徴として、また、神の国の拡大として捉えている。教派主義や神学的自由主義に幻滅したクリスチャンや、現代のよりエキサイティングで、霊的な刺激が強い礼拝を求めるクリスチャンにとっては、メガ・チャーチは魅力的な選択肢である。

このような教会は、成長や成功、繁栄のしるしとして、素晴らしい礼拝堂や、宗教的な放送の際には洗練されたテクノロジーを駆使した礼拝形態を、たびたび披露する。また、そのような教会は、数的な成長を追い求め、御霊の関わりや伝道の成功の証拠として、そのような数を誇らしげに掲げるのである。そして、現代の期待や必要に応える礼拝スタイルを宣伝するのである。

大規模な群れが成長するのは、霊的な賜物を持った現職のリーダーのためである。この点に関して、アフリカでは癒し、悪霊からの解放、あるいは預言といった賜物が人々の心を非常に魅了する傾向がある。倫理的な相対主義や信教の自由が社会通念となった西欧では、聖書的な基盤が強調されるが故に、福音派はメガ・チャーチのコミュニティに引き付けられる。従って、弟子訓練に関する理解や、神の群れの意義に関する解釈に基づいて、人々の心はメガ・チャーチという概念に魅了されるのである。

メガ・チャーチの概念を奨励する現代のペンテコステ派は、御霊の約束を、一方ではキリストの証の権限付与と、他方では教会成長とを関連付けているために、本質的には福音主義的だと言える。メガ・チャーチの概念に異を唱える者は、大きな群れになると、初代教会において信徒の交わりを力強いものにした教会の4本の柱、すなわち、御言葉の学び、交わり、祈り、聖餐(使徒2:42-47)を実践していくことが困難になる現実について言及する。

世界のクリスチャン・コミュニティに対して、メガ・チャーチの概念が及ぼす影響は計り知れない。組織が大きい場合、大抵、管理やアカンタビリティが困難になる。大規模教会の数多くのリーダーたちは、そのいくらかが感情的、倫理的に難しい問題に陥り、自身の成功の犠牲者となってきた。

一方、祝福された大規模教会の例は豊富にあり、すべてのメガ・チャーチが不適切に運営されてきたと捉える理由はない。メガ・チャーチの成長は、世界の様々な場所における、神の働きの真の証であることもあり得る。このような多くのメガ・チャーチが、キリスト教衰退の渦中にある現代の欧米に見られるということは、イエス・キリストの福音の影響力に希望を持てることの真の根拠を示している。

しかしながら、メガ・チャーチの取り組みは常に宣教における成功の指標となると示唆するような、新しいメガ・チャーチ神学が築かれないように注意するべきである。影響力が最大化されるような組織のマネジメントこそ、評価されるべき点である。

大規模な教会が広く福音を宣べ伝えるためにそのリソースを用いるとき、私たちの応答としてはまずは神に感謝すべきである。しかし、ある文脈においては、より小規模なコミュニティを形成する教会の方が理想的であるという事実にも、注意深く留意すべきである。

使徒の働きにおける聖書的な教会成長の例に示されることは、増し加えてくださるのは主であるということである。重要なことは、群れが大きくても小さくても、宣教を競い合うような精神を避けることと、受肉した自己犠牲という面でクリスチャンとしての成熟につながるような、適切な成長を促すことである。(ピリピ2:1-11)

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02 9月 2014

Lausanne Global Analysis

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